19.10.11

イギリスの医療

こんにちは。唐突ですが、ここ10日間、入院してました。

なんだかここ数週間の通院→入院→退院→通院のおかげで、イギリスの医療制度についてやたら詳しくなった気がします。
このままにしておくのはもったいない気がするので、分かったことをまとめてみようと思います。そもそも留学する前、一番不安だったのが医療制度とかかるお金のことでしたし、意外に情報が見つからなくて余計に不安になりましたし。持病があるけれど留学したい方のお役に立てれば。このブログの普段の趣旨と著しく乖離してはいますが…。



基本情報: 
イギリスには、NHS(National Health Service)という医療制度があり、国民に無料で医療サービスを提供しています。イギリス国籍が無くとも、6ヶ月以上滞在する予定のある人にはこのサービスが適用するようです。薬を処方してもらう時には、薬1種類(←ここ重要)につき現在は7ポンド40ペンスかかります。1種類ごと、なので実は量は関係がないようです。軟膏などは、一度に大量にもらっておくと長持ちします。

注:歯科は、NHSの医療サービスに含まれていないという話も聞きました(要確認)


医療システムのあらまし
病気になったときは、まず、地元のGP(General Practitioner:一般家庭医)にかかります。風邪でも水虫でもなんでも、とりあえずここで診てもらいます。ここの医師が自分の手に負えないと判断したときには、専門医の居る病院へまわされることになります。こちらの予約は、GPがやってくれます。緊急性が無いと判断されると、かなりの期間、待たされることになるようです。


実際の手順

1.自分の住所の近くのGP(General Practitioner)という地元の医院を探し、そこへ行って登録をします。パスポート(=ビザ)があると安心です。

2.1週間ほどでNHSの登録証が送られてきます。

3.登録した医院に電話し、まず看護師との電話面談を予約します。イギリスでは電話ごしでも、薬を処方できるようです。電話面談で用事が済まなければ、実際の診察を予約することになります。ちなみに、電話のときも実際に診察されるときも、本人確認のために誕生日を聞かれます。

4.予約した時間に医院へ行き、看護師の診察を受けます。薬を処方されたら、処方箋を薬局へ持って行きます。お金を払うのは、ここです。1処方薬につき£7.40です。クレジットカードも使えます。

5.看護師に専門医による治療が必要だとされれば、適当な病院へ紹介されます。看護師が予約などは全て行ってくれるので、指定された時間に病院へ行き、診察を受けます・

6.病院へ行って、入院が必要とされた場合も、入院代(食事など含む)は無料です。処方代だけ、後でGPを通して払います。ベッドが空かないと、長期間待たされることもあります。

7.入院します。必要な科のベッドに空きが無い場合、一時的に別の科の病棟に入れられることもあります。別の病棟に入れられた場合、そこではまともな治療はほとんど受けられません。おそらく、ベッドが空いた時にさっさと移動しないと他の患者にとられてしまうから、とりあえず入院させるのだと思います。不安になりますが、じっと待ちましょう。食物アレルギーなどがある場合は、しつこいくらい主張しておきましょう。何も言わないと無視されます。

8.退院します。学校などへ提出する入院証明が必要であれば、医師に申告するともらえます。無料です。

9.処方や診断などの詳細の載っている紙を渡されるので、これをGPに渡しに行きます。薬が切れた場合は、ここで再度処方してもらいます。3回同じ薬を薬局でもらえる処方箋や、無制限に薬をもらえる処方箋も存在するようです。

10.何か別の専門的な治療が必要な場合は、詳細が後日病院より手紙で送られてきます。

11.数週間以内にもう一度専門医にかかり、病気の再発などがないことを確認してもらいます。



電話を持っていない
基本的には電話が無いとどうしようもありませんが、どうしてもというときには、早朝に医院へ行って張り込むと診察してもらえます。

定期的に処方される薬がある
定期的に薬をもらうなら、PPC(Prescription Pre-payment Certificate)を購入すると良いでしょう。PPCとは、処方代の定額前払いのようなもので、3ヶ月分と12ヶ月分があります。3か月以内に4つ以上薬を処方される見込み、あるいは12か月以内に14以上薬を処方される見込みがある場合は、こちらの方が安いです。PPCは、インターネットや電話を通して購入することができます。

NHS未登録/登録証がまだ手に入らない
この場合は、誰でも診てくれるWalk In Centreに行くと良いでしょう。かなり待たされますが、とりあえず診察が受けられます。

日本でもらってた薬を伝えたら、そんなもん無いよと言われた
日本で販売している薬の名前は大抵は商品名ですので、イギリスでは違う名称で流通していることが頻繁にあります。ウィキペディアなどで性質や原材料、別名などを調べていくと、処方がスムーズになると思います。
また、日本では認定されていてもイギリスではまだ認可されていない薬も、稀にあります。その場合も薬の性質や役割を伝えれば、似たような薬を処方してもらえると思います。

電話をくれると向こうが言ったのに連絡が無い:
よくあることです。この場合は、しつこいくらいこちらから電話をかけて、こちらが不安であることを伝えましょう。たらいまわしにされることも多いですが、十分主張すれば話は通ります。

6ヶ月以内の滞在:
とあるnurse practitionerの方曰く、「6ヶ月以上のビザやイギリス国籍、永住権を持ってないひとは医療サービスを断られる可能性があるけど、聞かれなければ言う必要無いよね!あ、私何も言わなかったからね!」→結論・とりあえず行ってみましょう。ちなみに私は6ヶ月以上のビザを持っていますが、それについて聞かれたことは一度もありませんでした。大学の名前くらいしか聞かれなかったし、パスポートも見せる機会は実際にはありませんでした(必要だとは聞いていたのですが)。


こんなところではないでしょうか。
(もし、質問などある方がいらっしゃれば、遠慮なくどうぞ!)


ちなみに、食事はものすごーく不味いです。イギリス料理の最低の形態です。一目見ただけで「低予算」「野菜不足」「…驚きの3品目…orz」などという言葉が浮かんできます。正直、カメラを持ってくれば良かった…(ゲテモノ記録的な意味で)!と、入院中後悔しました。が、(少なくとも私の入院したところには)患者用の冷蔵庫がありますので、友達などが食料品を差し入れてくれた場合も保存しておくことができます。また、目の前にだされた料理が気に入らなければ、別の選択肢がある場合がほとんどですので、他のメニューがないか聞いてみましょう。

1.10.11

5-7日目

5日目:
実はこれは人工の池で、思いっきりレイキャビーク市内。
博物館を再び訪れた。ここの展示も実によく考えられている上見学者が少ないので、余裕で一日過ごせる。というか、すごさないともったいない!そこまで大きな博物館ではないが、見応えはかなりある。ついでにレイキャビーク市内も散策。なんというか、平和な町である。













6日目:
レイキャネス半島のニャルヴィーク(Njarðvík)へ移動した。空港へのバスなどは大量にあるので別に朝から移動することもなかったのだが、「ヴィーキンガヘイマル」(Vikingaheimar:ヴァイキングの世界という意味らしい)というちょっとした博物館のようなものを訪れたかったのだ。ニャルヴィークへ行くバスを待っていると、サラリーマン風のアイスランド人のおじさんに話しかけられた。どこから来たのか、何をしているのかなどと、一通りの会話をしたあとで、「ここは本当に美しいですね」と言うと、なにか恥ずかしそうに微笑しながら、「いや、ただの田舎町ですよ」と言われた。これがNYだったら、「そうさ、NYは世界一の街なんだよ!」とか言い出すだろうに、何とやわらかい性格なんだ、と妙に心に沁みた。サガやエッダを読むと、名誉を守るためには死をも覚悟する勇猛な人々、という印象だが、何時の間にこんなやさしい人々になったのだろう。やはり、厳しい土地柄だと助けあいや協力の方が重視されるようになっていくんだろうか。
アイスランド初日にも訪れた宿へ戻り、荷物を置いて、散歩がてらヴィーキンガヘイマルへ。海辺で、非常に気持ちの良い場所である。ここは、ヴィンランド・サガに記録されている、アメリカ大陸へのヴァイキング船の航海を検証した船、 Íslendingur(The Icelander)が保存されている場所なのだ。この船は、何とNYにまで行き、帰って来たらしい。アメリカに配慮してのことなのかは今一分からないが、何故か展示は英語ベースだった。
屋根の上に登ってみたのは内緒←
ヴィーキンガヘイマルの側に、アイスランドの伝統家屋である、草の生えた屋根のある家がいくつか並んでいるのに気付いた。展示らしい。いくつか違う時代のものがある気がしたが、何せアイスランド語で書いてあるのでさっぱりわからない。次ここへ来ることがあれば、アイスランド語を僅かでも理解できるようになっていたい。
帰り道、池のようなものが幾つかあった。近寄って見ると、大量の鳥の羽があり、水鳥の憩いの場所になっているようだった。その側に、鳥の死骸が。ああ…と思ってしばらく眺めると、何か見慣れた鳥と違う気がした。見つめているうちに、くちばしが独特の形をしていることに気がついた。何と、パフィンの死骸だったのだ。海から流されて、ここで力尽きたのだろうか。
いきなり現われた妙なランプ。全部で5体。
途中で、スーパーを見つけたので、晩飯と朝飯を確保しに入った。
バイトらしき兄ちゃんに、「このアジア人の子、何しに来たんだろう」的な目線で眺められた(正直彼より私の方が年上だと思うんだけどね…)。アイスランドでいちばんアジア人アウェー感が激しかったのは、このスーパーの中かもしれない。(しかし、キティちゃんは子どもコーナーで幅を利かせておりました)
宿に戻ると、部屋にフランス語圏スイス人のおっさんがやってきた。彼は一ヶ月ほど、車を借りてアイスランド中を周っていたらしい。家族へのお土産をどうやって二つのトランクに納めるかで、頭を抱えていた。一緒にお茶を飲んで、旅の話を聞いた。かなり北の方へも行ったらしいが、一度死にそうになったそうだ。早朝に雪の積もった道をドライブしていたら、道を見失い、気付くと全く道路でない場所を走っていたらしい。いつ車が空を踏むか、生きた心地がしなかったと言っていた。各地で撮った写真をたくさん見せてくれたが、これがまた素晴らしい。やはり、こういう旅もしたいな、と改めて思った。
夜9時ごろ、おっさんがまた近寄ってきたかと思うと、「オーロラが見たいか」と聞いてきた。頷くと、外へ連れて行ってくれた。ホステルの外は、ほとんど明かりが無い。彼の指す方向を見ると、緑色のぼんやりとした線が、すっと走るのが見えた。そのまま見ていると、線は揺らめきながらだんだんと広がり、うっすらリボン状になっていき、やがて消えた。と思うと、別の場所でまた緑が走り、また揺らめきながら広がり、消えていく。不思議な光景だった。


7日目:
早朝、ケプラヴィーク空港へ。タクシーを呼ばなければならないところをスイス人のおじさんの厚意により、一緒に連れて行ってくれることに。一瞬、「これ危ないパターンなんじゃないか」とも思ったが、家族への大量のお土産を信用して甘えることにした。もちろんというか運良くというか、無事に空港に着いた。8:30には飛行機に乗り、3時間後にイギリスマンチェスターへ到着した。