2.2.14

再読

著者 : Nahoko Uehashi
Scholastic Paperbacks
発売日 : 2009-04-15
久しぶりに『守り人』シリーズが読みたくなって、そういえば英語訳の方は数回しか読み通してないな、と思って手に取りました。

大胆に意訳されている部分が多く、以前は上橋さんの独特の文体が消えてしまったことが残念でなりませんでした。今読み返すと、原文を読むことがない英語話者の読者にとっては、非常に流れが良くて、訳であることを意識させないような工夫がされていることが分かります。

日本では、海外の翻訳ものが多く出版されていて、児童書でも「翻訳本」なりの文体が確立されているように感じますが、英語圏ではあまり、特にアジアからは翻訳されているものがないように思います。

ちょこちょこっと、「なんでここ変えたんだろ…?」という部分が、ありました。たとえば、「新ヨゴ皇国正史」で、原文では「三人のヤクーたちが…」となっているところ。英語では'some Yakoo'となっていました。この後「三日三晩の戦い」が出てくることもあり、筋書き的には重要でない部分で敢えて「3」という数字を出すことで、伝説らしさが滲み出てくるのが良いなあ…と思っていたので、ここを何故変えてしまったのかが、気になります。


また、主語が曖昧で、文脈に依存する文が多いため、構文の理解がちょっと違うんじゃないか?という箇所も。文法的には両方の解釈が可能なので、誤りでは決してありませんが。ちなみに、一番気になったの箇所がノギ屋の弁当の描写なので、物語上の支障はまったくありません。むしろこういう理解の違いは面白いな…と思いつつ、挙げずにはいられないのが原作厨の性ですので、ちょっと抜き出してみます。他の部分の訳し方も、工夫されているのがわかって面白いと思います。

原文
「米と麦を半はんにまぜた炊きたての飯に、このあたりでゴシャとよぶ白身魚に、あまからいタレをぬってこうばしく焼いた物がのっかり、ちょっとピリッとする香辛料をかけてある。いい色につかった漬物もついていて、なんともおいしそうだった」

訳文
'hot rice and barley; a fillet of white fish known in the area as gosha; something grilled in a sweet, salty sauce with a slightly spicy seasoning; and pickles'

上橋さんの文体に慣れていれば、一文がかなりたくさんの句読点で区切られていることが多いのを知っていると思います。ですから、「このあたりでゴシャ~」と「あまからいタレ~」の二句は繋げて理解するべきだと私は思っていました。この英訳では、この二つの句が別々の食べ物として解釈されているのがわかります。考えてみればどちらでも正しいわけなんですが、こういう違いが面白いなあと。

もうひとつ、漬物の描写がやたら省略されてるのが分かると思います。これは、解釈の違いではなくて、読者への配慮でしょう。漬物という存在に慣れていない読者が「いい色につかっている」と言われた所で意味がわからないので、文の流れを優先して削ったのでしょう。美味しいのは、チャグムの反応で間違いなく分かりますしね。


上橋さんと訳者のヒラノさんが苦しまれたという、視点の問題。上橋さんの文体は、日本語で読めば全く違和感がないのですが、いきなり焦点を特定の人物に絞ったり、いきなり物事天から見つめているかのような視野になったりで、運動が激しくて、主語がある程度しっかりしていないといけない英文に訳すと、かなりふらふらした文章になってしまいます。この問題は、文章を各セクションごとに特定の人物の視点にすることによって、解決されています。

この過程で一番得をしたのが、シュガでしょう。上橋さんも当時仰っていましたが、シュガ視点にするために大幅に書き下ろした部分があるとのことでした。多分、これは第三章の、シュガ初登場の場面だと思います。
原作の方では、この時点ではシュガのパーソナリティがあまり読めないままですが、ここでは悩める若手の学者として出てきます。見習い時代に暗誦したという「新ヨゴ皇国正史」の抜粋を思い出しながら、焼け跡を見つめ、ガカイの失態に舌打ちしています。
「新ヨゴ皇国正史」も大幅に改編されています。私の印象では、神話や民間伝承などを現代語で語りなおすときの文体や構成に似せられている気がします。ナナイの風貌についてや、「古ヨルサ王国」、身分を問わず星読み博士を選抜する取り決めは、省略されています。

省略されているだけでなく、足されているところもあります。たとえば、「光扇京」の構造については、より具体的に扇の形になぞらえていて、とても綺麗です。<扇ノ上>は扇の持ち手、と解説されています。こういった、日本やアジアの文化を持つ読者なら簡単にイメージできるけれども、西洋系の読者は分からないであろう箇所は、ところどころそっと書き加えられたり、書き換えられたりしています。ちなみにシュガが漁民出身であることも、原作のこの巻ではまだ明かされていないはずですが、実は語られています。


以前、高校生の頃に読んだときには、こういった差異がやたら気になって、原作の通りがいいなぁ、と思ったものですが、やっと今になってこの文章の美しさがわかるようになりました。「翻訳」というより、『精霊の守り人』という物語の「語りなおし」に近いと思います。英語圏の、日本とは異なる文化を持つ読者に、どういう形にして届ければこの物語を受け取ってもらえるのか。それを考えた形になっているのだと思います。実際、米アマゾンなどではかなりの高評価ぶりです。

この機会に続けて、『闇の守り人』の英訳の方も読み直してみようかと思います。

11.1.14

お知らせ

最近、古英語の話ばかりで、やはりこのブログの本来の趣旨から離れてしまっているなーと思い、新しく古英語専用のブログを設けることにしました。 そのため、古英語関連の2記事を、そちらへ移動させます。古英語ブログのアドレスは、http://seisfenixhaten.blogspot.jp/ です。

こちらのブログも、かなり閑古鳥を啼かせてはおりますが続けていく所存です。
よろしくお願いいたします。

27.2.13

読了

お久しぶりです。 先日やっと、前回書いた本Through the Language Glassを読み終わりました。ちょびちょび読んでたので長かった!読んでいて愉快で、世界が広がって、勉強にもなって、未来への展望も少し分かる、本当に良い本でした。 今読んでるのは、こちら。
正直、あんまり面白くは…ない…です。 中世英国への旅行ガイド、のような体なのですが、説明が多く、ガイドブック形式でない方が逆に面白かったのでは?という感じです。それと、学術書に慣れてしまった私には、引用元(Through...には脚韻こそなかれど、引用元の著者の名前はかならず紹介され、書籍の最後にも参考文献がびっしりでした)が記載されない、というのが不安で、どこまで信じて良いのやらさっぱりなところもネックです。とはいえ、当時の雰囲気をチョーサー等の著作を絡めて紹介してくれる辺りは、全体のイメージをつかむ上では良さそうです。中世英国の日常が知りたい!でも学術書は時間がかかりすぎるし痒いところに手が届きにくい、という人には向いているかも。
…と、思っていたのですが、本格的に基礎知識用に借りてきた「オックスフォード ブリテン諸島の歴史 5(14,15世紀)」の記述と大幅に被る上、こちらの方が整理されていて読みやすいです。
最も、こちらは私も日本語の方を読んでいるのですが、なんだか、学生が訳してる…?というような直訳具合です。多分、下訳はバイトなのでしょう。

そして、とうとう、以前から欲しかった守り人アニメDVDに手を出してしまいました。1と2。だって限定版が中古であったんだもの…。以前は絶対に手の届かないお値段でしたが、そろそろ私にも相応な感じに下がってきているようなので、少しずつ、揃えていきたいです。(売上に貢献できないのはファンとして心苦しいですが、流石にあの価格設定は無理…)




もう1年くらいずっと、メールのやりとりを続けている子がいます。友人と言うには遠く、知人というには若干近い、そんな感じの子。お互い日本に居た時は、そんなに話すこともなかったのに、何故か文通。直に会ってた時より今の方が距離が近い感じで、文通の醍醐味とはこういうところなのかな、などと思いながら返事を打っています。あの子が戻ってきたら、もとの距離に戻るのかな、と思うと、今から少し残念。

そして先日、友人の結婚式に行ってきました。私にとって貴重な幼馴染。お互い、あまりにもタイプが違っていて、出かける先も何もかもが被らなくてあまり会う機械もありませんでしたが、彼女が東京を離れて、国内とはいえ、遠く南へ行ってしまうのだと、式でしみじみと感じました。彼女が私の周りでは一番乗りでしたが、これから皆、仕事や結婚で、色んなところへ行くのだろうな、と、今更ながら当たり前のことを考えました。

最近、自分の周りが騒がしくなってきました。来月は、私も忙しくなりそうです。勉強も私生活も仕事も、気合いを入れねば。

20.1.13

人と言葉

前回の記事、撤回はしませんが、トップ記事にしておくには薄暗いのでもう1本。



こちらの本を、今読んでいます。 日本語版はこちら。

 実は、話す言葉が違っても世界は同じように見えている、というのが、言語学を学んで一番最初に教えられることのひとつです。根拠は、たとえ語彙がなくて言い表せなくても、言葉を重ねれば理解することができること。たとえば、「恨み」という日本語に対する英語の直訳がない、だから文化の違いが云々、みたいな話はよく聞きますが、この「恨み」のコンセプトだって、直訳がなくとも説明すれば、大体の意味は非日本語話者にも分かるのです。だから、言語によって世界の見え方が違う、ということはない、と言えるのです。

 そこに疑問を投げかけたのがこの著者。本当にそうだろうか、と。確かに、理解可能かという切り口からしたら、さきほどのような結果が出るでしょう。この著者は別の切り口から、言語とそれを話す人々をみています。つまり、物事のどのような側面を言葉で表現するのか、という面から見れば、言語によって世界の捉え方が違うのではないか、と。たとえば、日本語では緑のことを青と呼んだりしますが、別に緑と青を同じに見ているわけではありません。でも、それをまとめて呼んでいること、その事実自体に意味がある、という考え方です。

 …というところまでしか、実は読んでいません。紹介したのは前半戦部分、今ちょうど半分を越した辺りまで読みました。

 これらのことから著者がどんな結論を出すのか、まだ見届けられていませんが、とても楽しみです。

5.1.13

昔の話

本、というかエッセイの話にかこつけて、色々ぶちまけています。誰に読んでもらいたいというわけでもないのですが、自分の記憶と体験を、整理する必要を感じて書きました。(若干うす暗いですのでご注意ください)







「幼くて、幼くて、同級生が生身の人間に恋をしていたとき、私は、イギリスの児童文学に恋をしていました」―小説現代1月号、166頁

上橋菜穂子さんのこの一文が、無性に胸に響きました。


同じ17歳のとき、私は何をしていたんだろう、と考えると、まず守り人シリーズに恋をしていたのでしょう。あのときはもう5年目にもなる学校に馴染めずに、物語に没頭しつつも、人に恋することに憧れていた時期だったように思います。高校生の世界の大半を占める学校のクラスで、定まった居場所のないような居心地の悪さを味わいつづけていて、自分に対する評価は低く、その中で、違う自分を、取り繕っていない自分も受け止めてくれる人を、求め続けていました。

私の通っていた学校は、今から思うと本当に自分に合っていない場所でした。いくつも目に見えないルールのようなものがあって、それが体質に合っている同級生たちは、呼吸するのと同じくらい自然に溶け込んで行くのですが、私は、それらをひとつひとつ発見して、守るように努力せねばなりませんでした。スカートは目立たない程度に短くして、セーターはこっそり異装、小難しい奴だと避けられぬよう、話しかたは文語体や小難しい熟語はなるべく避ける。誰も本の話はしないし、漫画も下手をするとオタクのラベルを貼られるので避ける。難しい議論は、面倒くさいと言われるのがオチなのでまず取り上げない。ばかばかしいくらい小さなことばかりですが、これがいくつか外れると、もう「変わり者」のラベルを貼られてしまうのです。本を読むことが趣味で、買い物が苦痛だった私には、少々大変でした。
これは「つくってる」自分で、本当の自分ではない、という考え方は当時から嫌いで、「つくってる」自分も含めて自己の一部なのだと思っていて、そういう意味では息苦しく感じることも、そんなにはありませんでした。そもそも、一貫だった中学ではその「変わり者」のカテゴリに分類済みで、それでもあんまり気にはしていませんでした。でも、高校に上がって、大分メンバーが入れ替わると分かったとき、この環境の中でどれくらい、自分が受け入れられるのか、やれることをやってみよう、と考えたのです。このまま「別に溶け込めなくてもいい」と言っていたままでは、ただの負け犬の遠吠えというやつではないか、と思っていました。
気をつけて気をつけて、中学では「変わり者」として話しかけられもしなかった私も、少しずつクラスに居場所を築き上げられた、ということが実感できたときには、何やら達成感を感じたのを覚えています。

彼氏、というものが切実に欲しかったのも、この時期でした。当時私は、通っていた学校ではないところに行っている子に、恋をしていて、ちょうどそれが叶ったところでした。多分、自覚ありの恋はあれが初めてだったので、一応初恋が叶ったうちに入るのでしょうか。
めでたく叶ったのは良いのですが、幼かったというか、自信が極端になかったというのか、それで、その前までは友達として笑い合い、色んな話をした仲だったというのに、途端に何も話せなくなった記憶があります。学校のことはあまり話したくないし、読んでいる本のことも、クラスでのように引かれてしまったら…音楽もあまり聴かないし…と、嫌われたくないあまりに、何を話せばよいのか、急に怖くなっていました。振り返ってみれば、本当に余裕が無くて、幼かったんだなあと、しみじみしてしまいます。校風に自分の個性がとことん合わなかったことの弊害は、同級生に合わせていないときの自分に対する自信を、あらかた失ってしまったことなのかな、と思います。
多分、この時期に私が欲しかった「彼氏」というのは、恋人、ではなくて理解者、だったのだと思います。相手の子は、私よりもっと一途で、そして大人な子でしたから、食い違ったのも無理はないでしょう。それで、結局数カ月で、別れてしまいました。
そして、少しずつでもクラスの中での自分の位置を確保していくにつれて、そんな都合のいい理解者を欲しいという欲求も、薄れて行きました。そういう意味では、あの当時の恋は、恋じゃないような気もします。

受験を乗り越えて、大学もほぼ決まり卒業するとき、周りの同級生たちの多くは泣いたり、そうでなくても寂しそうな表情をしていました。その中で私は、とうとうここから出られるんだ!と妙に晴々しい気分を味わっていました。自分でも驚いたくらい、悲しさや寂しさは、こみあげてきませんでした。あの学校で過ごした6年間、楽しいことが一切なかった、という訳ではないのです。辛いことももちろんありましたけれど、大体は毎日、けっこう楽しく過ごしていました。それなのにあんなに解放された気分になったのは、学校ではみせないでいたものの多さが響いていたのかもしれません。

大学に入った途端に、自分に合う水のなかで泳ぐことが、どんなに楽なのかを思い知らされました。前の学校より格段に真面目な学生が多い中、小難しい話をしてもむしろ面白がって乗ってくれ、どんな文語体を使っても面倒そうな顔をせず、小説もたくさん読み、そして毎日髪を巻いて、どうやったのかわからないような凝った形にしてきたりしない彼らと過ごす時間が、どんなに気楽に感じたことか!
この時初めて、ああ、前の学校は自分と合ってなかったのだ、とはっきり理解しました。私がずっと欲しくてたまらなかったものが、ここでは全て何の努力もなしに手に入ったことが、衝撃でした。

あの6年間が無駄だったとか、苦痛だったとは、思っていません。良い先生方に教えていただけましたし、私につきあってくれる友人もいましたから、楽しいこともたくさんありました。合わない環境におかれてもある程度は元気にやっていけるという、貴重な技術を磨くことができたとも思います。もう戻りたいとは、絶対に思いませんし、当時の友人のうち連絡を未だにとっているのは、ほんの一握りですが、それでも、あそこで過ごした6年間はしっかりと、私の一部になっています。





追記:読み返してみると、後悔はしていないし苦しくもなかった、といいつつも辛かったっていいたいのが透けて見えるような文章ですね。あのときはあれが自分の知る学校世界の全てだったので、何と比較することもできないから普通に過ごせた、というのが正解で、振り返ってみればどれだけ無理してたのかがわかるなあと、今だからこそ考えてしまうのです。で、何に恋してたのかと言えば、本に恋してました。物語はもちろんですが、文章や文体というもの、言葉遣いや、物語内だけでなくて、それを通してちらほらとみえる、作者の世界観について考えるようになったのも、大体この時期だと思います。

1.1.13

あけました

新年おめでとうございます。

今年もこんな感じで、停滞気味のブログですがよろしくお願い致します。

去年はある意味、経験値がぐっと上がった一年でした…。その代わり、以前ほど学業に専念できなかった、ような。これではいかんのでがんばります。古英語とドイツ語くらいはある程度はものにしたいところです。ある程度、と入れてしまうあたりが腰の引け感を表していますが、大きく出たってそんなすばらしい頭脳は持っていないので、そこらへんで手を打ちたいと思います。

さて、去年の読み納めはこちら
某方に紹介していただいて以来、嵌っています。特に順序は気にせず、気になった巻から読み進めています。推理の解自体は結構読めてしまうので、考えて考えて考えても分からないような複雑怪奇さを求める人には向きませんが、私の好みどんぴしゃの時代設定、登場人物、そして時間をかけずにすっと物語に入りこんで読めてしまう、口当たりの柔らかい文章が魅力だと思います。安定感のあるシリーズって、良いですね。

10.12.12

きんせい

読み終わりました!! 今回ちょっとたてこんでいて、本を直接買いには行かず密林さんで注文したら今日届きました。遅いです。

大した感想じゃありませんが、ネタバレしますのでご注意を。



それはそうと、とうとう最終巻!!いや、外伝があるから「最終巻」とは呼べないのかも。 とにかく、錆丸の流離の旅は、幕を閉じました。錆丸というキャラクターは、元気一杯でいつどこへ飛び出していくか分からない気がして、これも何だか「一応」という言葉を付けたくはなるのですが。

読み終わって何が衝撃って、夏草さんの誤解があえてのそのままになっていることでしょうか。

砂鉄とユースタスの最期の日々を正直に暮らす感じの一件もまた、そうきたかという感じです。あと「たぶん」の台詞も気になります。ユースタスに何をさせたんだ砂鉄。気になると言えば隣の個室って、音漏れませんか音。そこは金星マジックですか。


命を挺して「弟」を助けた三月やら、無事一児の母となったラシィとその夫やら、そしてもちろん、恋を叶えた錆丸やらで読んでる最中は感慨深かったはずなのですが、読み終えて感想書こうと思った途端に浮かんでくるのが、前述したようなところどころの小ネタ系ばかりです。芸術作品になったリオンとかも。

それにしても、物理的な意味でも精神的な意味でも、これほど短期間にここまで成長した主人公など、かつてあったでしょうか。出会ったときは高校生だったのに、あっという間に大人になってお嫁さんもらって娘までできてしまいました。可愛くてあどけなくて抜け目ない子に育つんだろうなあ。
級友に子どもができてたのをfbで発見したような気持ちです。そんな歳になったんだなあ、という感慨も含む。

あらゆる面においてユースタスに負けてしまったとも言える彗星には心が痛みますが、ユースタスが自分をとりもどせたのは嬉しく思います。ナンパにあっても冷静に流せるユースタスも成長した!彼女は、登場人物の中でも特に人間の残念な部分の被害者でありつづけていたと思うので、それらを受け入れつつも幸せになれそうで良かったです。

衝撃だったのがアルベルト殿下。殿下…!
私が出会った初のファンタジー小説中の言語学者として、性格が悪かろうが眼鏡だろうが、死にそうで死なない、でも死にそうな(すいません)彼を心の中で応援していたのですが、あそこで登頂の末にあんな問いを投げかけたがために知りすぎて樹木になってしまうとは。うううん、底なしの好奇心が仇となりそうな気はしてたんですがやっぱりそうなったか、と。

世界語に関して、ヴィットリアのアプローチ、斜め上を行く感じで良いですね。ハハリ・ジュニアと自分の年齢とサヴォイア家の力を味方にして「世界語が人工語であり素晴らしい発明だったことを発見」して、兄とは違った方向から純国普を攻めていくというその戦法、素敵です。地域方言が認知されつつあるというのも、実世界でのシングリッシュの話などと重なってきて、いいなあと。
ところで彼女がエジプトのオークションで競り落とそうとしてる三言語の刻まれた碑文石ってロゼッタ・ストーンですよね。この世界のナポレオンは何やってたんだ、このままいくと大英博物館から目玉のひとつが消滅するよ!



全ての謎が、ものすごくはっきりとした形で解けた、という終わりではないけれど、これくらい漠然としている方が、私は好きかも知れません。全ての問いに解が存在する必要があるのは、推理小説だけじゃないかなと。それくらい物語に余裕があった方が、世界が広くなるような。もし作者自身が説明し足りないな、というとこがあればきっと、外伝で補われるでしょうし、読む側としては、安心して待っていようと思います。

また後日、何か書き足すかもしれませんが、今日はここまで。

27.10.12

お久しぶりの

前回の投稿から、ものすごく時間が空いてしまいました。したいこと、せねばならないことが沢山あって、中々ここまでたどり着けません。

Swallows of Kabul, 読み終わりました。哀しいお話なのですが、しんみり、というよりは、救済を求める叫びのようで、心がかき乱される、というのはこういうことかな、と考えてしまいました。別に、どうにかしてくれ、助けてくれ、ということではないのです。出口を求めてさまよい続けるけれど、ふと、出口が無いことに気付いて、そのときに口から出る音、とでも言えばよいのでしょうか。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの本も、もう一冊読みました。今度は日本語で。
作家としてデビューされる前の作品だそうですが、そのせいでしょうか、ダイアナさんだ!というスタイルではなく、ああ、イギリスの作家さんだな、と感じさせるような作風でした。ネスビットやら、スーザン・クーパーやらを思い起こさせるような。
 舞台となったモーカム湾自体には、私は行ったことがありませんが、同じ地方の沿岸で、やはり潮の満ち引きで島になったり陸続きになったりする場所は、訪れたことがあります。あるときには道があるのに、別のときにはなくなってしまうって不思議で、確かに、そんな道を辿っていけばどこか見知らぬ場所へ行ってしまいそうな気もします。イギリスの海辺の風景が浮かんでくるような作品でした。

その他には、「右利きのヘビ仮説」やら、「うなドン」やら、「ニッポン《南の島》大図鑑」やら、本当に雑多に読んでいました。

どうも、漢字の多い本がやたら苦手になってしまったようで、簡単な本ばかり手に取ってしまいます。母語話者でも読解能力って下がるんだな、と思いつつ、また漢字がすんなり入ってくるようになったときには逆に英語の方のスピードが下がるんだろうと思うと、とりあえずは今のままで良いような気もしてしまいます。

5.9.12

雑多に読書。

随分間が空いてしまいました。最後の旅行記を書こうと思って、書きかけているのですが、中々終わりません。

これは、アメリカに来てから読んだ本たちです。

The Silver Branchは、読んだ気になって読み漏らしていたのに気付いて、読みました。めずらしく、はっきりとした歴史的なできごとのど真ん中に主人公がいるお話でした。歴史の流れの片隅で生きる人の話ばかり読んでいたので、少し意外でした。と言っても、やはり無名の人物が主人公なのですが。

Fire and Hemlockは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品の中でも、かなり上の方の年齢向けなのだと知って、どんなものか読んでみました。日本語訳では『九年目の魔法』という題になっているようです。この作家の得意の言葉遊びが、大量に詰まった本でした。中でもNowhereの言葉遊びが、日本語ではどう訳されているのか、気になって仕方がありません。

『黒祠の島』は、ずっと読みたかった本です。たまたま、こちらのブックオフで見つけたのですかさず買いました。でも、他の作品と比べるとちょっと詰まらない、というか単純なような…?ぞくっとする感じはさすがなのですが、謎ときが予想外に素直でした。

The Swallows of Kabulは、日本の話と西洋の話の間を行き来し続けている自分の読書範囲を、もう少し広げようと思って読んでいます。この本だけ、まだ読み中。


それと、キンドルをとうとう買いました。軽さを最重視して、一番安いやつです。目が疲れず、持ち運ぶにも軽く、本を読むには本当に良い製品です。

そろそろ日本に帰国する時期です。帰国前には、旅行の記事もあげるようにしようと思います。

25.7.12

古いもの巡り

5月頃だったかと思いますが、マンチェスター周辺の遺跡と古い建物を巡る日帰りツアーに参加しました。Manchester Medieval Society開催のものです。

これまた、参加してる方の偏りがすごいツアーでした。
ご年配というのに加えて、(話し方から察するに)中の上~上の下くらいの階級の方々ばっかり。マンチェスターは北の方なのに加え、労働者が造った街で、文の最後のトーンが上昇するような独特のイントネーションがとても強い場所です。にもかかわらず、今回参加されてた方々にはそういう発音が一切なくて、ちょっと前のBBCのアナウンサーっぽい雰囲気でした。

閑話休題。

最初に行ったのは、LancashireにあるSawley Abbey。1146年に建立された修道院です。
入り口だった部分がはっきりと残っています。
隅の建物の中で見つけた竈っぽいもの。右上に煤が付いてます
見にくいと思いますが地元の名家の紋章らしき、3匹の魚が縦になっている文様が盾に刻まれています。この印、他の教会などでも見ました。

顔。愛嬌もある気がしますが不気味です。
次に行ったのがWhalley Church。同じ地域にあり、現存する建物は11世紀から19世紀まで、改修を重ねながら利用されてきたようです。外にはアングロ・サクソン時代の十字架があり、教会の壁の一部にアングロ・サクソン風の文様の刻まれた石が利用されていることから、11世紀より前から教会が建っていたと推測することができます。で、中に中英語の刻まれた彫り物があるのですが…字さえ判読できれば解読できるはずなのですが…判読しきれず何も言えません。

壁に埋め込まれたアングロサクソン時代のものと思われる石。
アングロ・サクソン時代の名残。

何と中英語が!普通はラテン語なので、珍しいです。

修道院にもあった魚3匹の盾です。19世紀のガラスです。
最後に、チューダー朝の家と、おまけのノルマン系の教会に行きました。が、両方とも名前忘れ。入ってすぐ出てしまったもので…。

家の外観

中。

いかにも、という感じの教会。




9.7.12

アイオナ島及びネス湖周辺の旅

下のアイスランド旅行の前に、6月11日から16日まで6日間かけて、バスと電車とフェリーを乗り継ぐ旅に行ってきました。目指すはスコットランドのアイオナ島。西の方の、ちっぽけな島です。それとおまけで、ネス湖周辺にも。本当のことをいうと、おまけのほうが日数食ってるんですけれども。1人だったらちょっとためらうところを、この企画に乗ってくれた友人がいたので、一緒に行きました。遺跡好きという点くらいしか共通点が無い人でしたが、この共通点ゆえの色んな寄り道ができました。


しかも、アイオナ島(とマル島)は偶然、旅行直前に読みはじめたサトクリフの遺作、Sword Song(『剣の歌』)の舞台の一部ではありませんか!読んでいて本当に驚きました。サトクリフの小説の舞台はブリテン島各地に点在していますが、この島ほど、当時の様子がそのままになっている場所も少ないと思います。本当に偶然、この島へ行けた幸運に感謝するばかりです。


7月19日追記:
 すっかり書き忘れていましたが、アイオナ島は6世紀聖コロンバがアイルランドからキリスト教宣教に来た時に活動拠点とした島です。修道院を建てたものの、コロンバの死後200年ほど経った後の794年のバイキングによる襲撃を皮切りとして、何度も標的にされるようになり、廃れてしまったそうです。一部が現存している修道院と尼僧院は、バイキング襲来から何百年かたった後に再建されたものだそうです。
 さらに、行ってから思いだしたのですがネス湖の方も、この聖コロンバゆかりの地でした。ここでピクト人に対して宣教活動をしていた聖コロンバが、地元の人たちを困らせる水の魔物を十字架をかかげて退散させた、という記録が、7世紀後半、アイオナ島の修道院長だったアドムナンによる『聖コロンバの生涯」にあるようです。



1日目
友人と待ち合わせるため、グラスゴーで一泊。このホステルが、超高級住宅地に位置していて、内装もすごい。グラスゴーは昔、商業で繁栄していたらしいから、その名残なのでしょう。



2日目
移動開始。一気にアイオナ島へ。グラスゴー→オーバン→マル島→アイオナ島、の鉄道→フェリー→バス→フェリー、という乗り継ぎばっかりの旅。
オーバン。行きはただの田舎町に見えた。

マル島行きのフェリー。

フェリーから見えたDuart Castle。

マル島のFionnphort。海が既に素晴らしく綺麗!


アイオナに着きました。砂浜が南国感を醸す。

8世紀の十字架。





尼僧院の廃墟。13世紀くらいから使用されていた。



白い砂浜が本当に綺麗。
日没を見に行きましたが、10:30くらいでした。
星を見ようと夜更かしするものの、白夜に近い状態で結局暗くならず。これは3時くらい。
ホステルの中はこんな感じ。鍵など一切かかりませんが、大丈夫です。

 3日目
アイオナ島→マル島→オーバン→フォートオーガスタスの移動。そして移動開始直前に、聖コロンバの湾に行くのを忘れてたのを思い出し…ましたがあきらめました。それだけが少し心残り。
ホステルのオーナーさんの羊を集めるのを手伝いました。


何か仕事してるっぽい人



フェリーの軌跡すら青い!

遠くからこのオーバンのお城が見えて、行こう!ということに。


Dunollie Castleというお城でした。ラピュタ!と騒いでいた日本人二人は私たちです。

迷い込んだ私有地にも廃墟が…。

 4日目
ネス湖散策の日。
この辺りから二人ともなぜか、かなり長いこと旅しているような気分になってきました。
Urquhart Castle。ネス湖湖畔にあります。

インバーネスの街。都会!

ネス湖の南端、フォートオーガスタス。

道なき道を登った、上からの眺め。

ここにも廃墟!

いい感じに腐った、木製の橋。
5日目
グラスゴーに戻る予定だったのに、使っていたバス乗り放題券でエディンバラまで行けると友人が言いだし、急きょ予定変更。しかしエディンバラは嵐のように風が吹き荒れていたので、たまたまやっていたムンク展を見に行きました。
Scotland National Gallery of Modern Art。
ムンク展。
6日目
既に友人とは前の晩にグラスゴーで別れ、マンチェスターに戻る日。本当はGovan Old Parish Churchという教会内で展示されているバイキングの墓石やアングロ・サクソン系の十字架も見たかったのですが、あいにく土曜は半日しか開いておらず、時間が合わなかったので諦めました。寄りやすい場所ではありますし、また今度!

雨のグラスゴー。暗い!