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25.7.12

古いもの巡り

5月頃だったかと思いますが、マンチェスター周辺の遺跡と古い建物を巡る日帰りツアーに参加しました。Manchester Medieval Society開催のものです。

これまた、参加してる方の偏りがすごいツアーでした。
ご年配というのに加えて、(話し方から察するに)中の上~上の下くらいの階級の方々ばっかり。マンチェスターは北の方なのに加え、労働者が造った街で、文の最後のトーンが上昇するような独特のイントネーションがとても強い場所です。にもかかわらず、今回参加されてた方々にはそういう発音が一切なくて、ちょっと前のBBCのアナウンサーっぽい雰囲気でした。

閑話休題。

最初に行ったのは、LancashireにあるSawley Abbey。1146年に建立された修道院です。
入り口だった部分がはっきりと残っています。
隅の建物の中で見つけた竈っぽいもの。右上に煤が付いてます
見にくいと思いますが地元の名家の紋章らしき、3匹の魚が縦になっている文様が盾に刻まれています。この印、他の教会などでも見ました。

顔。愛嬌もある気がしますが不気味です。
次に行ったのがWhalley Church。同じ地域にあり、現存する建物は11世紀から19世紀まで、改修を重ねながら利用されてきたようです。外にはアングロ・サクソン時代の十字架があり、教会の壁の一部にアングロ・サクソン風の文様の刻まれた石が利用されていることから、11世紀より前から教会が建っていたと推測することができます。で、中に中英語の刻まれた彫り物があるのですが…字さえ判読できれば解読できるはずなのですが…判読しきれず何も言えません。

壁に埋め込まれたアングロサクソン時代のものと思われる石。
アングロ・サクソン時代の名残。

何と中英語が!普通はラテン語なので、珍しいです。

修道院にもあった魚3匹の盾です。19世紀のガラスです。
最後に、チューダー朝の家と、おまけのノルマン系の教会に行きました。が、両方とも名前忘れ。入ってすぐ出てしまったもので…。

家の外観

中。

いかにも、という感じの教会。




2.7.12

アイスランド一周旅行

なんと、6月まるまる全くブログを更新していませんでした。実は書きかけの記事を量産していたので、投稿していない、という感覚がなかったのですが、最後の記事が5月中旬…。


6月下旬約1週間を使って、またアイスランドに行ってきました。日本からは遠くて航空券も高いので、次はいつ行けるかわからないな…と考えて、2回目の今回は、バスを乗り継ぎ乗り継ぎ、一周してきました。


それと、ブログタイトル変えます。もともとのタイトルは、とりあえずブログを始めるにあたって、まあそのうち変えようかというノリで適当ーに考えたものだったのですが、それをずるずる引きずって数年経ちましたので、そろそろちゃんと気に入ったタイトルにしたいと思います。意味は、検索すればすぐ出てきますが、ラテン語で「出版地出版年記載なし」です。本当は、せっかくみっちりやったのだし古英語か中英語のフレーズにしたかったのですが、特殊文字が多いのと、ラテン語と比べてやたら長くなりがちなのとであきらめました。
ブログURLは、そのままにしておきます。


レイキャビクの日没。夜11:20くらい。

1日目
午後15時、レイキャビク着。宿に着いて、散歩して終了。













2日目
アイスランドの馬!相変わらず小さくて可愛い。
ゴールデンサークルツアーに参加。今回はガイドさんが非常に充実した説明をしてくれました。アイスランド人が22,3度を暖か過ぎると感じるだとか、アイスランド略史だとか、産業だとか地学だとかについて色々学べました。あとアイスランド人のアイスランド観もちらりと。

 3日目
Reykjavík→Höfnのバス移動、所要8時間。要所要所で止まってくれて、写真を撮らせてくれました。最初に止まった滝の場所だけが分からないけれど、Skógafoss, Skaftafell, Jökulsárlónなどの名所は全部、たっぷり見る時間がありました。おかげで飽きないし、疲れない!予想外に充実した移動日でした。Skógafossで風が吹いた一瞬、完全に円にくっきりと虹が現れて、写真には納めることはできなかったものの良い思い出になりました。でもこの日の目玉は疑いようもなく、Jökulsárlón(ヨークルサルロン?)。Glacial Lagoon(氷河湖?)で有名な場所です。バスを降りると、ポストカードそっくりの風景が広がっていました。周りは石ころだらけで、雪なんて全く残っていない暖かさなのに、湖の中にだけ、氷が浮いているのです。

どういう名だったのかちょっと分からない滝たち。

裏側!

スコガフォス。フォス=滝。

虹がちらほらと見えました。

遠くの奇岩が有名な海岸。

こういう荒涼とした景色も素敵。

ヨークルサルロン。

信じられないほどに青い。

ヘプンの町。

バスの中から、不思議に雲がまとわりついた山。

バスの中から2。


4日目
Höfn→Akureyriのバス移動。朝8:30発。今日は見所もそこまでありませんでしたが、バスの外の風景が綺麗でした。そして、写真は撮れなかったものの、伝統的な土壁の家屋もいくつも通り過ぎました。一応観光名所のMývatn湖は、虫が多くて多くて、うかうかと写真を撮ってすらいられませんでした。本当はものすごく綺麗なところらしいんですが…!


途中の休憩中の風景。


こうやって雪が滝になり川になる。

ミバートゥン湖

よく分からない滝と言うか川2。

アークレイリに着きました。

アークレイリの教会。























5日目
Akureyriを散策しつつ、博物館と図書館に行きました。それぞれ英語の説明や本があるので、私にも利用できます。サガやヴァイキング関係の本が、充実していました。さすが!そしてそれらを漁る私の横で、『ワンピース』(英語版)を読み耽る少年が。4冊くらい一気読みしていました。その他にも、『らんま1/2』や『ナルト』などのタイトルが書棚に見えました。
街を見下ろす。

ボルガネスに着きました。

モニュメント。




















5日目
Akureyri→Borganes移動日。疲れていて、移動中の大半は寝てしまい、ろくな写真がありません。運転手さんがアイスランド語しか話さない人で、運転中、羊を入れるため(と推測される)石垣や、何か重要な廃屋(かもしれないもの。Hostelって聴こえたんだけど多分気のせい)など色々ガイドもしてくれたのですが、アイスランド語 だったのでさっぱり…。
Borganesは、Egill Skallagrímsson(エーイ(ト)ル・スカトラグリムソン)という粗暴な詩人を主人公とするサガの舞台です。写真の妙なモニュメントは、このEgillがバーサーカーの父親(Skallagrímsson)に(ものすごく些細なことで)殺されそうになった際、乳母が介入し、身代わりになって死んだこというエピソードのある岬に建ててあり、この乳母の記念碑なのだそうです。そしてこの日、ちょうどEgillの何かの記念日だったらしく、バイキングの扮装をしたり赤い服を着た人たちが行進をしていました。街中、赤の飾り付けや赤い服でつくった人形がごろごろしていました。
赤ならなんでもいいらしい飾り。
赤い人形たち。怖い。
何故か靴下を履いている標識。
























6日目
Reykjavíkに戻ってきました。前回はなかったはずのアイスランド国旗がたくさん、翻っていました。前回行ったときに観光しまくったので、博物館も美術館もその他のものもあきらめ、図書館で読みたかった本を読んでいました。去年のアイスランド訪問でちらりと見かけた本で、Old Norse Women's Poetry: Voices of the Female Skaldsというタイトルなのですが、これがニューヨークでもマンチェスターでも見つからず…ずっと気になっていました。同じシリーズの別の本をマンチェスター大の講義で使ったりして、面白そうだなあと思っていたのですが、読めて良かった!そして、アイスランド国立大学図書館の快適さには圧倒されました。CDを楽しむためのデッキチェアやら、広々個人スペースやら、至れり尽くせりでした。
ハトルグリムスキルキャ






デッキチェア…!


鴨注意。
7日目
ReykjavíkからNYへ。席が、一番良いものへアップグレードされ(サービスはもとグレードのままです…)、おかげさまで窓を二つ占拠できました。バイキングたちも旅したニューファンドランドがはっきりと見えて良かったです。
ニューファンドランド上空。


12.5.12

ハドリアヌスの城壁巡りツアー(13日改)

タイトル通りのツアーに行ってきました。壁(と羊)しか見ない旅!
ローマ史の試験4日前に行くのってどうよ、と思ったのですが、もうこれを逃したら機会はないと思い、えいやっと参加しました。そしたら、私が受けているローマ史の授業の教授がガイドさんでした。赤毛+ふっさり髭+低身長の(ドワーフっぽい)方なのですが、この人のトークがまた美味い上手い。口癖はAt the end of the day(=結局)。教授のおかげで、楽しい一日を送ることができました。
学んだことを色々語りたいのですが、そこまで余裕がないので写真の下に簡単な説明だけ付けておきます。

13/5
重要なことを言い忘れてたので。サトクリフの『第九軍団のワシ』の舞台ですここ!しかも、エスカの一族、ブリガンティス(Brigantes)の話も出てきました。途中から、石壁ではなく初期には土壁であった跡があるらしいのですが、これはおそらくローマ人がブリガンティスの伝統的な領土を横断する形で壁をつくっていったので、彼らに建設を邪魔されないよう早く建設できる土壁を最初に建てたのだろうということでした。
もっとも、当時のローマの建造物は土壁のものが多く、むしろ何故石で壁を造ったのか、ということに注目する必要があるのかもしれない、とも教授は仰ってましたが。


ここから歩き始め。何故か日本語が。

Milecastleという建物。1マイルごとに建てられたのだとか

真ん中を走ってる何の変哲も無さそうな塀がハドリアヌスの城壁です。こちら側がローマ
どんどん続いています。ちなみに右側が野蛮人側、左側が文明人側になります

橋の遺跡らしいです

Irthing川。いい天気でした

木の柱は、城砦の跡に建てられたアングロ・サクソン時代(5,6世紀)の建物を表しています

Praetorium。床暖房付きです

おトイレ

遺跡を楽しむ子羊たち

好奇心旺盛!母親たちのようには逃げません

痒い!と首をこすっていました

昔は森におおわれていたかと思うと、感慨深い風景です


自分用メモ:
・城壁は昔、白く塗られていたという。野蛮人を圧倒するためと、教授の考えでは兵士を手持無沙汰にさせないためだった。
・ローマ兵は城壁の上からは闘わなかった。遠距離用の武器を持たなかたったこと、ところどころ城壁が安定して戦うには狭すぎることなどから推測。見張りをおき、トラブル発生時にはそれをローマ領土内に持ち込まないよう、壁の外へ兵を出して戦ったのだろうとこのこと。
・壁がつくられた当時、ここらへんに駐屯していた部隊はアルメニア人。
・ハドリアヌスの時代には、軍は壁の内側の丘の向こうに駐屯していた。非効率的なので彼の死後壁の側に移動。
・最初はMilecastle毎に3本の柱で支えられた大きな門を造っていたが、後に防衛に不利と気付いたのか、向こう側からの攻撃が激しくなったのか、半分が石で塞がれたものが多い。