27.1.11

金星世界考察2+追記

金星特急の話です。懲りません。

息抜きにネットで読者さま方の感想を読んでいたとき、すごいことを指摘している方が。

3巻の206ページに、「五世紀以前、おそらくはイスラム王朝の遺跡か」って文があるんですけれど、五世紀以前のイスラム王朝なんてもんは、あり得ない、と鋭く指摘しておられました。

はい、WaYaは数字に弱い人間なもんで、年号なんてもう受験期に日本史のを詰め込んで放出して忘れた以外、ほとんど覚えていません。なので、辞書で調べたところ、イスラム教の創唱者のムハンマドって、570年頃~632年(大辞泉)の人でした。イスラム教が成立したのは7世紀。それに加え、世界語が使われ出したのは200年前あたりだという殿下情報。それとこれとを合わせると、200年ほど時代がずれている、ということになるのかもしれません。


「嘆きの王女の壁」っていうのも、ちょっと気になりますね。「嘆きの壁」ならヘロデ王の神殿の壁として有名ですが、王女となると、聖書関係だったら出てくるのはサロメくらいしか思いつきません。あ、あとシバの女王(王女じゃない) 
その他の王女については知識が皆無なのであっさりギブ。
と、一度は書いたんですが…princess, central asiaで検索してみたらこんなのが。ウズベキスタンの伝説だそうです。また今度時間があるときに内容を書きたいと思います。


そして、殿下が写していた文字について。
「星形のような奇妙な文字」「放射状の突起の位置が発音を」表す(=表音文字)、「よく似た文字を黒海近辺の遺跡」(207)で見た、というさらなる殿下情報。
 黒海近辺は、11世紀あたりまでローマ帝国およびビザンティン帝国に支配されていた地域。てことは、ギリシャ文字?でも、ギリシャ文字が中央アジア草原地帯で使用されてたってのも微妙ですね。
中央アジアの草原地帯ってウラル・アルタイ諸言語の地域で、特に現在ではキリル文字表記のはず。で、適当にあたりを付けてトルクメニスタンの文字を調べてみたら、もとはアラビア文字で今(ソ連時代以降)キリル文字なのだそうです。
「黒海近辺」というのをトルコだと解釈すれば、遺跡に刻まれていたのはアラビア文字かギリシャ文字ということになります。しかし、ここで問題が生じてくるのは、文字の形。アラビア文字は、「放射状」とか「星形」とは言えない気がします。形の上で星形と言えなくもないのは、やはりギリシャ文字(の大文字)でしょうか。
1月27日追記:色々辞書をめくっていたら、「ソグド文字」というのと「アラム文字」というものにも突きあたりました。特にアラムの方は中央アジアを含むかなりの広範囲で使われていたらしいので、アリかもしれませんね。
 
 そして、トルクメニスタンを調べているうちに、殿下の見た遺跡かも?というものが。メルブ遺跡です。「城壁がめぐっている」「紀元前1世紀ころに仏教が入ってきたと考えられ、当時の仏塔や僧院が残されている」(ウィキ)ということです。カラクム砂漠の中のオアシスなのだそうです。「みじかい草と石ころしかなかった幕営地から数10キロほど駆けてきた」(203)という訳なので、一応合ってる?ちなみに、最後はチンギス・ハンに攻められて滅亡したらしいです。

以上、現実逃避を兼ねた考察でした。


日付変わって追記編集
某様より、「聖マセッティ騎士団はマルタ騎士団がモデルではないか」とのご指摘をいただきました。
なるほど、いくつもの条件が合致してますね!地中海、イタリア付近、カトリック、騎士団、昔領地もってた、と。
そしてそこへ縁者を派遣することがステータスであるのなら、ユースタスが母親から「買われた」というのも納得がいく。だから家名を汚してしまったユースタスは、養父の元にはもう戻れない。という仮説をたてられていました。
教えてくださってありがとうございましたー!!

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