28.11.09

語り続き

 インフルと診断された割には平熱なので、レポート書きついでにまた語ります。ネタバレ有、かも知れません。私なりの解釈です。



「ドリアン・グレイの肖像」について。
 この物語には、聖書の原罪のモチーフが含まれている、と私は思います。ヘンリー卿が「蛇」、肖像画が「知恵の木の実」、そしてドリアン自身が「人」。
 物語の当初、ドリアンは20歳代であるにもかかわらず、「純粋な少年」として描かれています。自らの気持ちに忠実で、すぐに機嫌を悪くしたり良くしたりでと、まるで子供のようです。また、容姿に頓着していません。
 しかし肖像画を見たドリアンは、自分の美しさに気付き、あたかも湖のほとりのナルキッサスのように自らの外見に溺れていきます。これは、自らが裸であることに気付いたアダムとエバに対応しているように思えます。そして、それまでは純粋だった彼に快楽主義を教え込むのが、ヘンリー卿。言葉巧みにドリアンを堕落させていきます。創世記で蛇がイブを丸めこんで誘惑したように。その結果、ドリアンの汚れた魂は彼の純粋な体から追放され、肖像画に乗り移ったのだ、ということができると思います。

※「蛇→気付き→追放」だから、順番が違うじゃないかと反論されそうですが、実際にヘンリー卿と初めて出会うのはドリアンが肖像画を見る前です。ただ、深く絡むようになるのはその後なので、こういう書き方をしました。

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